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2023.02.22

馬肉が桜肉と言われる7つの理由とは?様々な説を解説

馬肉は栄養価が高く、低アレルギーかつ低カロリーなため、日本人に広く愛される食材です。また、刺身やユッケ、ステーキなどさまざまな美味しい食べ方があります。

ご存じの人も多いように、馬肉は別名『桜肉』といわれる食材です。なぜ桜肉といわれるのかわからないという方もいるのではないでしょうか?

そこで、今回は馬肉が桜肉といわれる理由を7つご紹介しますので、興味のある方は、ぜひチェックしてみてください。

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馬肉が桜肉と言われる7つの理由

馬肉が桜肉といわれる理由は下記の通りです。

肉の表面の色が桜を連想させるから

1つ目の理由は、馬肉の表面が桜色を連想させるからです。

馬肉の色は赤色と思われている方もいるかもしれません。しかし、鮮度の高い場合や火を通すと、表面がピンク色になります。ピンク色は桜を連想させるため、桜肉といわれるようになった理由のひとつです。

また、お皿に盛りつけるときに切り身をお花の形のように並べますが、この盛り付け方が桜をイメージさせるため、桜肉になったという説もあります。

江戸時代に使われていた隠語が今も残っている

2つ目の理由は、江戸時代に隠語として使われていたからです。

675年、天武天皇が食肉禁止令を発布してから日本では長い間獣肉は食材として避けられる傾向がありました。江戸時代においても建前として獣肉食の禁忌が守られていたのです。

しかし、人々の中には、獣肉を食べたいと思う人も少なくありませんでした。そのため、禁忌を守らず肉を食べる人の中で桜肉は隠語として使われていたという説があります。

幕府の牧場が佐倉にあったから

3つ目の理由は、江戸幕府の牧が佐倉にあったからです。

牧とは、牛や馬を放牧するために作られた区域のことです。簡単にいえば、牧場のことになります。

江戸時代になると下記の地域に広大な牧が設けられました。

  • 小金牧
  • 佐倉牧
  • 嶺岡牧

この中の佐倉牧には、優秀な馬がそろっていたとされています。そして、『佐倉の馬は良い馬だ』→『馬は桜』となり、桜肉といわれるようになったという説です。

ちなみに、牧は主に幕府が直接管理を行い、乗馬用の馬を生産する目的で設けられた区域です。また、八代将軍吉宗の時代になると乳製品を作るために整備されたといわれています。

幕末の英雄の歌から馬が桜肉に変換された

4つ目の理由は、坂本龍馬と高杉晋作の歌の中で駒が馬に変換されたからです。

坂本龍馬は薩摩と長州の仲介役になった人物で、幕末といえば欠かすことができない土佐藩氏となります。一方、高杉晋作は奇兵隊を作った人物です。

両者はお酒の席で伊勢の民謡『咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が騒げば花が散る』を歌ったところ、駒が馬に変換されて桜肉になったという説があります。

食品偽造説

5つ目の理由は、食品偽造です。

現在でもイベントの主催者やお店に雇われてイベントを盛り上げたり、あたかも商品の売れ行きが良いような雰囲気を作り出したりする人のことを“サクラ”といいます。お店やイベントが盛り上がっているとその雰囲気に引き寄せられてしまいますが、それを狙った戦略です。

明治時代、文明開化によって牛鍋を食べることが民衆の中で流行しました。高価な牛肉の代わりに馬肉が使用され、それをサクラと呼ぶようになったので、桜肉といわれるようになった説があります。

馬肉は春の季節がおいしいから

6つ目の理由は、馬肉は春の季節がおいしいからです。

動物は気温の低い季節になると、自分の身を守るために脂肪を蓄えます。そのため、冬になる前にたくさん食べて冬を越そうとするのです。

冬の季節が終わり、春になると動物はたくさん脂がのっている状態になります。そのため、春は馬肉がおいしい季節であり、春を代表するお花といえば桜です。このような理由から馬肉のことを桜肉といわれるようになったという説があります。

高村光太郎の詩の中で馬肉がサクラと表現されていたから

7つ目の理由は、高村光太郎が詩の中で馬肉をサクラと表現したからです。

高村光太郎は、1883年~1956年まで活躍した日本の詩人になります。代表先としては、道程などがあり、教科書にも掲載される作品です。

高村光太郎は、夏の夜の食欲の一説で馬肉をサクラと表現しており、それがきっかけで馬肉を桜肉と呼ぶようになったという説があります。

まとめ

今回は、馬肉が桜肉といわれる理由について詳しく解説しました。隠語説や食品偽造説などさまざまな説が存在します。この中でどのような説が有力であると思われたでしょうか?

また、日本では肉を避ける食文化があったこと、そして隠れながら食されていたことも知っておきたいことのひとつです。実際に江戸時代には隠れながら馬肉を食べていた人も多く、隠語説も有力候補のひとつになるでしょう。

実は、馬肉や馬刺しを食べる文化は、加藤清正にルーツがあるという説が有力です。食料が尽きた加藤清正が軍馬を食べたことが馬肉を食べる食文化の発端となっています。これによって馬刺しを食べる文化が熊本で広まりました。

ご紹介した説の中でどれが有力かどうかを明確に述べることは難しいです。気になる方は、自分で答えを出してみるのもひとつの手かもしれません。

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